【21st Century Snapshot man】砂町銀座 我が心横たわる下町 2017 12/17
2018年 04月 07日
2017年最後の街頭スナップは、夕闇の砂町銀座になった。砂町そのものには強い縁はないが、東京の下町は思い入れが強い地域の一つだ。僕は海外を含めてあっちこちへフラフラこっちへフラフラ、幼い頃から文字通りの風来坊だったので、地元を持たない。いや、あちこちに地元があると言ってもいいかもしれない。その中で、東京の下町は転勤などではなく好き好んで住んだ街なので、東京を離れた今も楽しく散策することが多い。
だから、下町方面で仕事があると嬉しい。帰りに下町撮影行ができるからだ。クリスマス1週間前のこの日は、浅草橋でインタビューと撮影を終えて、一時期事務所を構えていた町に近い砂町銀座に向かった。
日本語の下町は英語のDowntownの直訳から派生した言葉なのだろうか。でも、両者の意味は違う。英語のDowntownは市街の中心部を指し、「下町」よりも「都心部」の方が意味としては近いだろう。日本語の「下町」も決して郊外を指すわけではないが、市街の中心部というよりは「庶民的な街」の意味合いが強い。かといって、「旧市街」かと言うと、特にスクラップ&ビルドが激しい東京などではちょっとイメージが違う。寅さんの「労働者諸君!」という定番のセリフではないが、「労働者の街」が実態に近いと個人的には思っている。あるいは、東京の下町の場合は、山の手に対する海側の低地という地形的なニュアンスもあるのかもしれないが、僕の中ではどうしても、下町という呼称と東京23区東部の庶民的なエリアのイメージがぴたりとはまらない。
近年は東京の下町に数えられるエリアでも、豊洲などの湾岸部にはタワーマンションが立ち並び、庶民とは正反対の住民が急増している。砂町あたりは今、ブルーカラーとホワイトカラーの境界線の一つになっていると言えよう。その境界線より下町側にある砂町銀座はやはりとても心地よく、散歩していて気持ちが休まる。地元民ではないのに、なぜだろう。たぶん、街を包む人々のメンタリティに奥底で共感するからだと思う。本当の故郷には「同化」できる安心感があるのだろうが、それとは違う意味で、根本的な価値観が共有できる町とでも言おうか。
特に「歳末」のノスタルジアと下町は僕の心の中で強く結びついている。下町に住んでいなかった時期も含め、年末年始はたいてい、アメ横や浅草寺、柴又帝釈天あたりに行っていたからだろうか。そう言えば、明治神宮など山の手の大きな神社仏閣に初詣に行ったことがないことに、今気がついた。
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