【21st Century Snapshotman 】「人」への回帰 千駄ヶ谷 ↔ 原宿 2017.7.14
2017年 10月 21日
フィルムへ回帰したのが昨年の春。今年の春からは、さらに一眼レフに回帰した。最初の1年間は主にライカでフィルム撮影をしていたのだが、瞬発力の面では自分にとっては、使い慣れていてより直感的に操作できる一眼レフに分があると思い、少しずつ眠っている機材を整備したり昔使っていたカメラを買い直したりしてフィルム一眼レフ回帰の準備をしていった。レンズは最近はそうでもないが、フィルム一眼レフのボディは需要が少なく、少し頑張ってあちこち探せばタダみたいな値段で手に入る。中でも修理が困難なため需要が少ない電気式のカメラは元の相場が安いので、OH済のものか状態の良いものを探した。
もちろん、ライカ(35mmレンジファインダー機)を捨てたわけではなく、スッと空気感を切り取りたい気分の時にはライカ、一瞬の反射神経で通行人を絡めた街頭スナップを撮りたい時は一眼レフと使い分けている(習熟訓練や展覧会のテーマに沿うため、必ずしもこの使い分けに忠実にやってきたわけではないが)。この「通行人を絡めた街頭スナップ」は10代から30代にかけて好んで撮っていたテーマだが、世の中が過剰に個人情報云々言うようになって非常に撮りにくくなったこともあり(自分の側にも理由はある)、ベルリンで集大成の写真展と写真集出版をして区切りをつけてからは、ほとんど撮らなくなっていた。
しかし、ネット社会が熟してきて、個人情報の扱いに関しても過剰反応がだいぶ収まってきたことや、街頭スナップを含むデジタル化以前の写真文化が見直されている社会情勢と共に、自分の中でもかつての「人」を撮るという情熱が復活してきた。ただ、最近の「人のいない情景」を撮る試みを通じて自分の写真も変わってきているので、以前とは少し趣きの違う新しい「通行人を絡めた街頭スナップ」を模索したいと思っている。
撮影する町も以前は山手線環内の都心が中心だったが、今は郊外住宅地や地方都市、田舎町もよく撮っている。だが、今回は原点に帰って千駄ヶ谷駅近くから歩いて原宿あたりの通行人で溢れているエリアを撮った。
カメラはキャノンA-1とコンタックスAriaの2台体制。A-1はNFD28mmF2.8、FD55mmF1.2、NFD80-200mmF4の3本を交換しながら使用。Ariaはシャッターチャンス対応用とし、テッサー45mmF2.8を固定。どうしても超広角が欲しい時にディスタゴン18mmF4を随時使用する形とした。
単純に二極化などできるわけがないのだが、大雑把に言って、この手のスナップは人そのものを撮る場合と情景の一部に人を入れ込む場合があると思う。僕はどちらかというと長年後者を志向してきたが、その傾向は年々高まってきている。よく「瞬間的に撮るのか、待って撮るのか」と聞かれるが、情景の一部に人を入れ込む場合は待って撮ることも多くなる。カメラを2台持って一台を瞬発力重視、もう一台をレンズ交換ありのじっくり撮る用にしているのも、「脊髄反射」と「待って撮る」の両方に対応するためだ。もちろん、実際の撮影はケース・バイ・ケースになるので、そこに拘りすぎてはいけない。
今は山の中に住んでいるのでなおさらファッションには疎いのだが、街頭風景を彩る重要な要素として道行く人たちのファッションの傾向には一応目を配っているつもりだ。3年くらい前から80年代リバイバルのファッションが出てきて、今はすっかり長年続いた60年代リバイバルを駆逐したようだ。今は外国人の通行人も多いので、そこに差はあるのだが、日本人とアジア人はすっかり80'sが標準になっていることを、今回、「ものすごく頑張っている人たち」で溢れたこのあたりを久しぶりに歩いて実感した。景気が良くてキラキラしていた時代の、そして自分が写真を始めた頃のファッションである。活気があって青春チックで結構なことだ。
個人的には60年代から70年代の文化が好きで80年代90年代はクソだと思っているが、今の80'sリバイバルファッションは何十年も停滞していた日本がようやく上を向き始めた表れでもある。どこへ行っても寂れて終った感漂っていた2010年代の日本の街頭風景にも、ようやく活気が戻ってきたのを感じる。人がいなくても人気(ひとけ)があるという80年代の東京の、あの他に類を見ない活気である。
テニスボールおじさんの正体は想像がつかないが、90年代以降のファッションの流行は若者たちが作り上げているというより、おじさんたちの都合で回っているような気がする。80年代までは、その時代のオリジナルだったけれど、以後は戦後の10年ごとのファッションがローテーションで繰り返されているだけだ。なぜそうなるかというと、業界で発言力が強く決定権がある人たちが、自分たちが若かった頃のファッションを流行らせているからだろう。世代に関係なく、全く新しいものを作り出せる人間はごく一握りだ。自分の時代の感覚しか持ち合わせていない人が多いのだから、自ずとそうなる。その意味で、リバイバルの繰り返しにしないためには、「今」を生きている若者に任せる必要があるだろう。政治なんかよりファッションの世界こそ老害がひどいと思うのだが、いかがだろうか?
ファッションに限らず、写真文化を含む文化全体に「流行」などというものがなくなるのが、成熟した社会だと思う。各々が自信を持って自分が向きたい方向を向けばいい。てんでバラバラに見えて、全体を見渡せば一つに見える。それが人類の等身大の姿である。竹下通りや渋谷あたりの通行人のファッションがてんでバラバラになる日が来て欲しいものであるが、既にわずかにその傾向は見えている。
明治通りに出て、東郷神社を抜けて千駄ヶ谷に戻る。次に繁華街を歩く時は、もっと物理的にも心理的にも「人」に近づいて撮りたいと思う。
【使用機材】
Canon A-1
New FD 28mm F2.8
FD 55mm F1.2
New FD 80-200mm F4
Contax Aria
Carl Zeiss Tessar 45mm F2.8 AEJ
Carl Zeiss Distagon 18mm F4 MMJ