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デジタル化の波に流されてきたもの ライカM6とSummilux 35mm F1.4 (2nd)

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写真のデジタル化の波は、当初考えていたよりもずっと大きなうねりだったと思う。銀塩写真がすっかり過去のものとなった今、振り返るとデジタル化の波に乗れなかった(乗らなかった)仲間がゴマンといる。自分は、1990年代末期の過渡期を真っ先にデジタル化を進めた新聞社の写真部で過ごしたので、ほとんど抵抗なくデジタル写真を受け入れることができた。でも、僕は高校1年生だった1985年ごろに本格的に写真を始めたのだが、同世代の仲間の多くは30歳前後でデジタル化の洗礼を受けている。つまり、デジタル化という写真の一大変革期が訪れた時に社会人として最も忙しい時期に入っていた。学生時代に写真にのめり込み、その後もまだフィルムが主流だった頃は写真趣味を細々とでも続けていた人たちもかなりいたのだが、デジタル化を境に写真そのものから疎遠になったというケースが非常に多いのだ。最近はフィルム未経験者がかえって新鮮に感じてフィルム写真を始めるという一周回ったような状況で、僕のような出戻り組の受け入れ先もあるのだが、出戻るタイミングすらも逸してしまった完全に波に取り残されたロスト・ジェネレーションは確実に存在する。

もっと上の世代の場合は、銀塩写真のノウハウが完全に確立してからの(彼らにとっては)突然のデジタル化だっただけに、どうしてもデジタル写真に対してシンパシーを持てなかったり、今もって頭の切り替えが追いつかないというケースが結構あるようだ。特に写真を仕事にしている人の場合は、デジタルネイティブの若い編集者らと写真そのものに対する向き合い方という根本の部分から話が噛み合わなかったりして、かなり苦労しているという話も聞く。

上の写真のM6とズミルックスは、先日大先輩の写真家からお借りしたものだ。その人も、写真家としてすごい実績がありながらデジタル写真の普及と歩調を合わせるように徐々に写真に対する情熱を失っていき、現在は絵と語りに表現の軸足を移している。このM6は、氏の愛機としてこれまで数々の名作を生み出していて、長年の付き合いがある僕にも馴染み深いカメラだったのだが、先日久しぶりにアトリエにお邪魔した際には無造作に本棚の片隅に置かれ、厚い埃をかぶっていた。僕が埃を払っていじっていると、ご本人も愛着あるカメラがこのまま埃に埋もれていくのは忍びないと思ったのではなかろうか。「好きそうだね。貸してあげるよ」と言ってくれた。それが、この年季の入ったブラックのM6とライカのオールドレンズの中でも特に高値で取引されるズミルックス35mmが今、僕の手元にあるいきさつである。

なにはともあれ、この機会がなければ一生手にすることはなかったであろうこの銘レンズで撮ってみよう。まずはすぐに結果が見たいのでデジタルで。ボディはα7II。フォクトレンダーのVME-Closefocus アダプターで最短撮影距離が1mという本レンズ最大の弱点をカバーしながら、室内や街頭で撮ってみた。

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↑ヘリコイドアダプターの力を借りて0.7mくらいまで寄って開放付近で撮影。後処理で周辺光量落ちを補正し、少しシャープネスも足している。そうした“近代化“を施しても尚残るドリーミーな描写は、かえって味として歓迎できる品のいい収差だと思う(実際、巷ではこれを良しとするか欠点とするかで本レンズの評価ははっきりと分かれるようだ)。1961年の発売以来、1995年の生産中止まで基本設計は変わっていない。この個体は1988年製だが、クラシックレンズとまではいかなくても、オールドレンズのカテゴリに入るのは間違いない。

300年以上前に作られ、数億円の価値があるバイオリンの圧倒的な最高峰と言われるストラディバリウスと、現代の高級バイオリンの音色をブラインドテストで専門家を含む聴衆に聞かせたところ、現代のバイオリンの方が音色がいいと答えた人が多かったというニュースがあった。クラシックレンズ・オールドレンズの世界も同じようなものだ。目の肥えた写真愛好家らにこのズミルックスと現行の同様のスペックのレンズで撮った写真を見せて「どちらが画質がいいか」と聞けば、現行に軍配を上げる人の方が多いと思う。科学的な数値で比較しても、ズミルックス2ndに勝ち目はないであろう。それでも、新品のコシナ製のウルトロンやノクトンよりも中古のズミルックスの方がずっと価格が高い。「ライカ」のブランド力だけではない。数値的な追求ではどうにもならない、下町の中華屋のオヤジが何十年も積み上げてきたラーメンスープのような、時間をかけて自ずと出来上がってきた文字通りの「味」に価値があるからだ。クラシック音楽の世界ほどではないにしても、写真芸術もまた、デジタルな判断だけでは「良し悪し」を決められない。ライカレンズやストラディバリウスの価値には、商業的な仕掛けによる部分も大きいのだが、それを差し引いても、僕は前述のような非科学的な価値観は大切だと思う。

次に、野外の街頭スナップで、F5.6〜11のスイートスポットで撮影してみる。

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多くの場合、ある程度絞るとまともなレンズならば文句のつけようのない描写になるが、このズミルックスは、なんとも言えない立体感に満ちている。ガラスを通した感があるオールドレンズの味を残しつつも、それと矛盾するようなモダンで実に明瞭な描写が共存している。非凡であり、素直に凄みを感じる。後処理の調整ではまかなえない、芯の部分で絶妙に上品なカラーバランスも、国産レンズに対するアドバンテージだと思う。

そして、夕暮れ時に向かって開放からF4でスナップ。

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目をこらしてデジタルな目で見ると甘い部分もあるが、これは「撮り手の腕とセンスが高ければ」という条件つきで「このレンズと心中してもいい」という類いの道具かもしれない。逆に、僕のようにマウントアダプターでソニーのデジタルミラーレスカメラにつけるというなんちゃってな使い方であれば、それを想定して今の時代に作られたウルトロンASPHあたりにしておいた方が良いと思う。つまり、デジタルで使うのならば、やはりライカのボディでないと説得力が出せないのではなかろうか。それくらい、特別感のあるレンズだと感じた。

というわけで、本来的な使い方はやはりモノクロフィルムであろうと、1本撮ってみた。

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ちなみに、ズミルックス35mmはフィルターネジがなく、フィルターは二分割できる専用の12504フードに組み込む方式である。借りた時にはそのフードの先端部がボコボコに変形していて、ネジ山が固着して分割できない状態であった(2枚めのα7IIに装着した写真)。それを解消するために、先端部を気兼ねなくぶつけられる社外品に交換させてもらった(1枚めの写真)。同時に、このフードに組み込めるシリーズVIIのND8フィルターをケンコーに特注した。フィルムのM型ライカは最高速が1/1000で、晴天屋外で開放付近を使うにはNDフィルターが必須。だから、僕はいつもライカでフィルム撮影する際にはNDフィルターを持ち歩く(ただし、今回は曇っていたので使っていない)。

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いやあ、やはりフィルムで撮ってこそである。一言で言えば、ものすごくシャープなのにしっとり感がある。僕は実は長年ライカ嫌いのツァイス派だったのだが、これにはさすがに舌を巻いた。若い頃はこのしっとり感が鼻についたのだが、ツァイス的な頂点ギリギリを目指す危うさがかっこいいと思う年齢を過ぎると、このズミルックスの描写のすごさが分かるようになる。僕は、このブログのタイトルにしているように、字面のごとく真実をそのまま写し取ったもの=「写真」なのではなく、写真とは、現実とは似て非なる「写像」だと思っている。目の前の現実は写像となった瞬間に異世界に変質する。あまりあからさまに変質させた異世界も品がないし、あまりに「写真」的であるのもまたつまらない。このレンズはその点、絶妙な写像を映し出し、心地よい「異世界」を見せてくれる。

もちろん、使う人間あっての道具であり、道具が良いだけではどうにもならない。ゆえに、こういう道具を使える撮り手でありたいと思わせるレンズである。そして、長年このレンズを使ってきた持ち主の力を再認識した。

  
by hoq2 | 2017-05-10 00:41 | カメラ

(フォトジャーナリスト・内村コースケ)写真と犬を愛するフォトジャーナリストによる写真と犬の話。写真は真実の写し鏡ではなく、写像である。だからこそ面白い。


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