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【アドリブ旅行03】「雪の始まり」Part 1 = 狂気の街 

「アドリブ旅行」
往年の「こち亀」の名エピソード
から拝借したこのフレーズが気に入っている。目的地不明、先の見えない旅。子供の頃からそういうロードムービー的な体験に胸が踊る。地についた足を離し、移動を開始する。その瞬間、肉体と精神が正真正銘の浮草になる。そして、社会や生きることのしがらみから自由になったような錯覚に陥る。

レンタカーの回送という仕事をご存知だろうか。ここではあえて詳細な説明をしないが、次から次へと乗り捨てられたレンタカーと鈍行列車を乗り継ぎ、全国の<下道>と<在来線>をぐるぐる巡って僅かな報酬を得る仕事である。次の目的地は直前まで分からない。

その点だけを捉えれば、自分にとってはこれは究極の「アドリブ旅行」である。ここでは、回送員として「稼働」した日々のロードムービー的な断片にスポットを当て、後のための忘備録を兼ねて写真と文章で記録していきたい。



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これを書いている今は、2014年の桜の季節だ。しかし、3回目の稼働となった今回の話は去年の12月に遡る。回送同様、このブログも安全運転を心がけている。あまりリアルタイムに近い話は書けない。面と向かって解雇するということがほとんどない反面、日本社会というのは、黙ってジワジワと干すということが横行する恐ろしい社会なのだ。その辺の事情、分かって欲しい(と、日本的に遠回しに表現しておく)。

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今回の稼働も前2回と同じく2泊3日である。なぜこの長さかというと、単価が異常に安いこの奴隷労働は、9時5時はもちろん、レンタカー営業所の一般的な営業時間、8時-20時で稼働してもペイしない。一般的な時給バイトの1日の最低賃金にも達さないのだ。だから、夜通し走れる(と言っても、車内で仮眠はする)泊まりがけの稼働が良い。

システム的には、何日でも連続して稼働可能だ。2泊3日がデフォなのは、この仕事を始めるにあたって参考にしたこちらのサイトに、次のようなことが書いてあったからだ。

自分が聞いた中では、2泊3日が理想的だそうです。しかも、初日はお昼以降から参加し、3日目は昼一くらいに終わるパターンです。この方法だと、初日の夜勤は朝寝ているので、楽に稼働が出来ます。しかも、2日目の夜勤は、それほど遅くなく23~24時くらいで仮眠が出来るように組まれます

実際やってみると、確かにこの記述は概ね当たっていた。自分の場合は夕方から深夜にかけてが最も元気な体質なので、上記を少しアレンジして、1日目は午後スタートで3日目の20時に終えるのが基本パターンだ。とは言っても、2、3時間の仮眠で2日目・3日目の午前中あたりはやはり相当にきつい。自分の場合は、もう、そういう時はよほど納期がタイトでない限り、車の引取時に報告した納車予定時間を過ぎようがお構いなく寝ることにしている(最近は、何か指導があったのか、請負業者側も「眠くなったら構わず寝てくれ」と逆に頼んでくるようになった)。

多分、自分は「頑張る姿勢を見せる」という、過程を重視する日本的な感覚に乏しい。だから、「堂々と仮眠する」ことに何の罪悪感もストレスも感じない。過程などどうでもよく、結果さえ整えれば良いのだ。本業で仕事を発注する側に立っても、相手に経過は問わない。逆に「結果」を重視しているので、納期遅れは今のところ一度もない(一度遅れそうになり、その時は自腹で高速を使った。もちろん、その“経過”を報告なぞしていない)。というのも、たいていの回送は、数時間から数日!も余裕のある納期設定だからだ。

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さて、今回は少し元気に初日は朝から稼働。筑波研究学園都市に最初の回送車を取りに行く。つくばエクスプレスにちゃんと乗ったのは今回が初めてだが、車ではこの人工的な街に何度も来ている。

初めて来たのは免許取りたての大学生の時。なんでそういう残酷なことをしたのか、今では良く分からない。現役で名の知れた大学に受かった高校では劣等生だった僕が、勉強も運動もできて顔も良く家も金持ちなのに浪人生になってしまった「彼」をドライブに誘った。「彼」はその頃、相当におかしくなっていて、あらゆる有名大学の校歌を呆然と口ずさむキチガイっぷりを発揮していた。

そんな「彼」を、「大学」そのものである筑波なぞへ連れて行けばどうなるか分かりきっている。いや、当時は分かっていなかった。なぜそんな簡単なことが当時の自分には分からなかったのか、今の僕には分からない。その時撮ったモノクロ写真は、『ツクバ・・・』というタイトルで1冊のアルバムにまとめ、今も手元にあるが、筑波大学のキャンパスを亡霊のように彷徨う「彼」の写真が空恐ろしい。

真偽は定かではないが、僕が学生の頃、この街は自殺率と妊娠率が高いという都市伝説がまかり通っていた。温もりのない「作られた街並」が人心を鬱々とさせ、反面「やること」は「ヤルこと」くらいしかないからだそうだ。やることがないって、研究は?と思うが、まあ、当時の世相は一流の国立大学といえど「総合レジャーランド」という軽薄なものであった。

ピンク・フロイドの『狂気』を聴くたびに、ツクバの風景を彷徨する、痛々しい「彼」の姿が目に浮かぶ。そして、とんだ偏見だと怒られそうだが、今もこの街を訪れると、嫌に空が青すぎるような狂気を孕んだ鬱々感に包まれるのだ。ニュータウンとか「〇〇都市」というような、整備されすぎた環境に僕は到底馴染めそうもない。

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筑波から、東京駅を模した駅がある北埼玉の深谷で納車し、すぐ南の熊谷から高崎経由で福島の郡山に向かう。熊谷ではサラリーマン時代、3年ちょっと一人勤務を経験したことがある。自宅兼事務所の新聞社の通信部記者というやつで、日々の町ネタを拾う仕事だ。

水谷豊主演のドラマで扱われているような地方記者生活だが、この街にはドラマで描かれているようなヒューマンな感じはあまりなかった。東京に近すぎるし、町の規模も中途半端だ。若くもなく、かといってベテランの風格を身につけるにはあまりに未熟だった当時の僕自身、記者としても人間性的にも中途半端だった。だから、熊谷には個人的にあまり語るべきものがない。

ただ、熊谷出身で、北埼玉をこよなく愛する森村誠一さんに地方版で埼玉を語る連載を持ってもらったのは、記者時代を通じても良い思い出だ。東京のホテルで初めて森村さんに会った際、「君は作家になりたいのでしょう」と看破された。そう、僕は間違いなくジャーナリストに非ず「新聞記者」という日本独特の職業にはピンと来ていなかったし、文章の作家になりたいかどうかはさておき、写真の作家になりたいと若い頃から思っていて、それは、その当時もあきらめていなかった夢だったのだ。

一流の作家とは、初対面でそこまで看破するほどの眼力を持つ人間のことだ。それだけの自信が伴っていなければ、作家などと自称もできまい。以来、そう覚悟している。(Part2に続く)

【今回使用機材】

    

by hoq2 | 2014-04-02 01:06 | 写真(アドリブ旅行) | Trackback | Comments(0)

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