【21st Century Snapshotman】2017 2/11 板橋・西台 パワースポットの私的考察

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高台にある町には、何か不思議な引力がある。子供の頃から、遠くに「山」が見えるとそこに行きたくなる衝動にかられる。この場合の「山」とは、せいぜい町中の高台のことである。例えば、高校1年の時、多摩川の土手を友人と歩いていて、対岸の川崎側に竹藪の間から家が見え隠れしているような「山」が見えた。「あそこに行ってみよう」と、2時間ばかりかけて歩いて行った先は登戸の住宅地の一角であった。派手に冒険心をくすぐるような場所ではなかったが、どん詰まり(頂上)の鉄塔に到達して我々は地味に満足であった。長野県に住んでいる今はどこもかしこも本物の山だらけで、よく犬連れでトレッキングをしているが、上記の町中で「山を目指す」という衝動は「そこに山があるから登る」という冒険家的習性とはまた別の、おそらくは他の人にはあまりない私的な習性である。

今回も、板橋区内の仕事先の帰り、「山」が見えたので自動的に目指した。引き寄せられる方へ引き寄せられる方へと歩いた結果、あとで地図を調べてみると「板橋区西台」一帯をぐるりと周遊したことになる。

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都会の「山」の頂上には、なぜか竹藪がある。現代的な様相に宅地開発化される前の名残であろうが、僕にとってはムードを駆り立てる要素だ。都会のエアポケットのような、やや奥まった場所。駅から徒歩15分以内の都会ではあるけれど、急坂を登らなければたどり着けないという不便さを抱えているためか、ローカルな要素であったり時代に取り残された要素が点々と残る。僕が写真に写し込みたいのは、そういうものとその空気感である場合が多い。竹藪は、その代表的な分かりやすい例だ。だから「山」を目指すのだろう。

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街中の山道に刻まれた「〇〇〇」の紋様にも、妙に引き寄せられる。何か幼児期の記憶と強く紐付けられているようで、強い懐かしさを感じるのだ。このすべり止めの意味でついている「〇〇〇」が刻まれた道路は、今も新たに作られているのだろうけれど、昭和の時代の方がポピュラーだったと思う。幼児期は都内のちょっとだけ高台にあった団地からいったん川沿いに下りてまた坂を登った所にある幼稚園に通っていたので、「〇〇〇」の道を毎日歩いていたのだと思う。子供の身長だと地面が近いので、今もビジュアルとして思い出す幼児期の記憶として「〇〇〇」が強く印象づけられているのだろう。

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さて、西台の“山頂”の中心地には天祖神社という神社があった。<「〇〇〇」の坂を上って竹藪を横目に進むと神社があるーー。>と言うと、いかにもパワースポット的ではないか。いや、僕はオカルトの信奉者ではないし、軽薄な観光ビジネスに乗るほど純情ではない。だが、「山」に引きつけられたり、都会のエアポケットを彷徨うのを好む程度にはロマンチストであり、世間の受け止め方とはずれているかもしれないが、パワースポットの存在自体は認めている。

この天祖神社は、成立年代は不明で、円墳の上に立っているという説もあるそうだ。そもそもそれを喧伝している人々が色々な思惑を持っている「パワースポット」には、明確な定義はない。マスコミでもてはやされている霊能者がそう言っているからとか、広告代理店に勧められて町の観光協会がそう言い始めたとか、その程度のものである。西台の「山」が古墳だったという説は、確かにこの地に引き寄せられ、一種独特な空気に触れながら神社に辿り着いた身としては、なるほど、そういう霊性を感じる土地であることは認めざるを得ない。でも、実際のところは、古の王の霊がどうのこうのというよりも、人間の本能がパワースポットを作り上げているのではなかろうか。人の心は、起伏のてっぺんや底といった「僻地感」や「突端感」に引き寄せられるようにできているのではないか。よく岬めぐりをする人がいるけれど、その心理に近い本能だと言えば分かりやすいだろうか。

つまり、パワースポットとは「スポット(場所)」の方に「パワー(力)」があるわけではなく、人の本能の方にその源があるのではないかと僕は考えている。「人の本能が勝手に反応して引き寄せられる場所」がパワースポットなのだ。特に日本人は自然=土地を信仰する民族だから、結果的にそこに神社を建てたりする。だから、場所の方に力があるのだと思わされやすいが、人の心の中にこそパワーが秘められているのだ。

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天祖神社から南へ下っていくと、仁王像が睨みをきかせる圓福寺を過ぎ、交番があるあたりの東側が崖になっていて、谷底が見える。その斜面にへばりつくような感じで、青白橙黃緑の五色幕がたなびくお堂が見えた。「山」から「下界」に降りる長い滑り台のある公園を通って、一旦谷底へ。少し歩くと新築の住宅と朽ち果てた古い木造の“お化け屋敷”の間に人がやっとすれ違えるくらいの参道がある。そこを抜け、崩れそうな急な階段を登りきった所に「西台不動尊」が建っている。お堂を戴くささやかな斜面には、もう梅と水仙が咲いていた。普通の住宅地にポツネンと佇む異空間である。ここに至り、僕の本能はこの一帯を完全にパワースポットに認定していた。

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今回使ったのは、ライカ(M6TTL)に28mm、50mm、90mm。パーフォレーションのある「ましかく写真」は、いつものようにインスタマチックカメラで撮っている。ただし、街頭スナップで135フィルムとの混ぜ撮りをする際にいつも持ち出すポケットカメラのローライA26ではなく、レンズ交換式一眼レフのローライフレックスSL26である。こちらはおもにフォトエッセイの仕事用に使っているが、フィルムの詰め替え方でまだ試行錯誤している部分があり、今回はテスト的に持ち出した。

ライカの28mmと90mmはいつものツァイス・ビオゴンとミノルタ・Mロッコールだが、50mmはいつものエルマ−MではなくLマウント・キャノンの50mm1.8(セレナー銘と同レンズ)を使った。この50mm1.8はなかなかの名玉で、21世紀のレンズであるビオゴンやフィルムカメラ円熟期のMロッコールとこのように混ぜて使用しても、全く違和感がないことと思う。もちろん、デジタル暗室での画像調整込みでそうなっているわけで、素では他の2本に比べてクラシックな柔らかい描写をする。しかし、キャノンらしい優等生タイプなので、使い方と画像調整の仕方しだいで趣味的なクラシック・レンズとしても、実用的な「普通の標準レンズ」としても使える。今回はレンズを味わう的な趣味性が出る開放付近の使用を避けて、後者の使い方をしている。

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西台不動尊の参道を引き返し、あらためて坂を上がってから、眼下の首都高に向かって「西台の山」を後にした。最後に撮ったカットも、最初と同じ「竹藪」であった。

【使用機材】
・Leica M6TTL
・Carl Zeiss Biogon 28mm F2.8
・Canon 50mm F1.8 (Lマウント)
・Minolta M-Rokkor 90mm F4
・Rolleiflex SL26
・Pro-Tessar 40mm F2.8



     

by hoq2 | 2017-03-05 17:58 | 写真(Street Snap) | Trackback | Comments(0)