ゴースケありがとう

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2014年10月28日、ゴースケが他界しました。11歳と3ヶ月。「ゴースケありがとう」。この言葉がしっかり届くように、残された僕たちは日々を過ごして行きます。

僕はよく犬の飼い主さんに取材をします。そして、よくこう質問します。

「あなたにとって愛犬はどんな存在ですか?子供?友だち?分身?」

僕にとって、ゴースケはそのどれでもない、本当に特別な存在です。何かそういった関係に置き換えらることのできない「ゴースケ」そのものなのです。

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ゴースケは、僕たち夫婦が初めて迎えた犬です。本から得たような付刃の知識を鵜呑みにするような、ダメな飼い主でした。たくさん、間違ったこともしてしまいました。でも、ゴースケは頭のいい、自分をしっかり持った子です。僕たちの間違いに屈せず、自分の生き方を通してくれたと思います。だから、「ごめんね」と言いたいことはたくさんあるけれど、やっぱり、「ありがとう」という言葉をかけ続けたい。

確かに、「難しい子」であったのは間違いありません。人様に多大な迷惑をかけてしまったことも、何度もあります。それも、ゴースケが悪いのではなく、僕たちが至らなかった。この場を借りて、被害を受けた皆さんにお詫び致します。同時に、決して卑屈にならずに胸を張りたいとも思います。「僕たちでなければ、ゴースケと暮らし続けることはできなかった」と。

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たくさん回り道をしてしまったけど、「ゴースケにゴースケらしく生きてもらう」ことがいつの間にか僕たち家族の生き方にもつながっていったと思います。ゴースケがストレスを感じたり、逆に喜び過ぎて社会に迷惑をかけるような所に行かない、そういう場を作らない。だから、犬仲間や親しい友人でも、特に晩年のゴースケに会ったことのある人はほとんどいないと思います。

だから、一般的に言う「いい子」とは全然違います。でも、僕にとっては本当にかけがえのない、これからどんな出会いがあったとしても最愛の存在であり、最も尊敬する存在がゴースケなのです。「息子」とか「友」という表現では生易しい。人生で一番苦しい時期に現れ、文字通り共に歩んでくれた。それも、未熟な僕に屈することもなく、さりとて恩着せがましく導くこともなく、媚びるでもなく。ただ、ただ、ひたすらまっすぐに彼らしく生き、僕たちに寄り添って歩んでくれた。

「まっすぐ生きる」ということは、良いことばかりではない。他人に理解しにくいことや、ネガティブに映ることが行動に現れるということでもあります。「自分をよく見せよう」とかそういう作為が一切ないからです。そうやって生きながら、無償の愛を寄せてくれる。それ以上に純粋な愛があるでしょうか?たとえ犬であっても、僕はゴースケほどまっすぐな存在はそうそういないと思っています。これは、しっかり自慢したいことだし、誰がなんと言おうと本人には堂々と誇ってほしいと思います。

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ゴースケはもともと、散歩させるのにも苦労するような、臆病な子です。それが、1歳を過ぎた頃から散歩大好きっ子になり、それはちょうど僕が時間と心の拠り所を持て余していた時期と重なり、ひたすらゴースケと浅草や上野といった下町を散歩する癒やしの日々につながりました。いや、ゴースケの愛情がその一致を生んだ、必然だったのでしょう。その日々がなければ、僕は自分を見失っていたかもしれません。

晩年は死因につながってしまった持病が少しずつ少しずつ進行していたのかも知れません、だんだんと散歩しない子になっていました。最後の週は、あれほど乗せるのに苦労したカートにも乗ったし、最後の日は、大騒ぎするのでもう諦めていた車にも乗った!ちょっとだけ、 僕たちに合わせてくれたんだね。それは肉体的に弱った証拠でもあるけれど、肉体から自由になった今は、いつでもどこでも一緒にいられるね。

そう思うと、僕は自分の肉体が消滅してゴースケの魂と完全に交わることができるまで、残された日々をずっとやさしい気持ちで過ごすことができると思うのです。

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これが僕が撮った、ゴースケの最後の写真になってしまいました。亡くなった日の朝です。正直、心残りなことはたくさんあります。それも、僕たちが今後、マメやほかの犬たちと接するうえで、家族の「長男」として教訓を残してくれたのだと思います。「やるべきことはやった。後悔はしていません」と、立派な飼い主さんのようなことは言えません。でも、これだけは何百回、何億回でも言える。

「ゴースケありがとう!」そして、「永遠に愛しているよ!」

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by hoq2 | 2014-10-31 17:50 | 日記 | Trackback | Comments(1)

コモアしおつ

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なかなか表現しきれない、人に伝えにくい「好きな感じ」というものがある。僕の場合は、写実的なんだけど非現実的な風景、それも郊外住宅地で、なおかつイタリアかスペインか・・・そう、ウルグアイあたりの歴史的でもなんでもない・・・いや、日本の現実感のないニュータウンというか・・・。

そういうの町が空想上は好きで、中学の美術の時間にそういう町を歩いている自分の絵を描いたりして、周りに理解されなかったりしたわけで・・・。あえて言えば、ホックニーの絵のような写実的なのに現実感がない、あの感じが好きなのだ。あとはそう、『ハロルドととむらさきのクレヨン』とか。

とにかくこれは伝わらないので、個人ブログで勝手にやるのにぴったりなテーマなのだ。そして、その町は多摩ニュータウンとか既存の町と地続きなのはダメで、スペースコロニーのように独立していなければならない。

で、ついに見つけたのである。ずっと空想していたようなその町は「コモアしおつ」といい、半年越しくらいで今回歩く機会を得た。バブルの産物らしいが、この場合そういうのはどうでも良い。

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これは「下界」の中央本線・四方津(しおつ)駅。いかにも山梨な里山的風景である。山の上に広がる「コモアしおつ」と既存の町は、駅から直通のスペースコロニー的なエレベーター・エスカレーターで結ばれている。

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しかし、エスカレーターは止まっていた。エレベーターは、この45度くらいの傾斜を登っていく。エレベーターというよりケーブルカーだ。

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エレベーターを降りると、山の上に広がる町につく。下界の和風な山里に対して、ガンダムのスペースコロニー的な町並みが広がる。スーパー、学校、病院といった基本的な施設も揃っている。

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冒頭のような「伝わらない」写実的かつ非現実的な空気を表現するため、今回は「地元茅野市からは持ち出さない」という禁を破ってチノンレンズ群(28mm、35mm、55mm、135mm)を使用した。現代レンズや高級レンズにはないアナログな味が「非現実性」を、かといってトイレンズではなくちゃんとした本物のレンズなので「写実性」も十分に担保される。

ボディはEOS5DMK3とNEX-7の2台持ち。フルサイズとAPS-Cでレンズを使い分ければ、レンズ4本で事実上8種類の焦点距離を使うことができ、よりフレキシブルな運用が可能となるのだ。

また、近景以外は、ほとんどのカットでCokinの121s(ND8ハーフグラデーションフィルター)を使用した。空を落とす形でグラデーションをかけることで、これも主に適度に人工的な雰囲気を出すためだ。Photoshopでも同様の効果が出せるが、やはり物理フィルターの方が表現に深みが出る。特にCokinは好みが分かれるが、色の深みが強い(今回使用フィルターも、NDというよりはグレーフィルターのイメージだ)。ただし、物理フィルターはPhotoshop処理に比べて機動力や柔軟性が犠牲となるので、どちらがいいということではなく、状況と目的に応じて使い分けたい。

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この町への出入口は、前記のエレベーター(エスカレーター)と、トンネルを抜ける専用道路のみ。「たまたま通りかかる」ということがありえない、意識して行かないとたどり着けない町なのだ。もしかして、自分が無知なだけで全国的にこういう町は決して珍しくはないのかも知れないが、リアルな日常生活と近未来的非現実性が同居した「好きな空間」をようやく現実に見つけたというしだいである。

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それから思うに、この町が自分好みなのは、新しすぎない所だろう。1991年の販売開始だというから、多少は歴史を刻み、町に「人の臭い」が染み付いている。できたての21世紀っぽい町は、オシャレだし楽しいとは思うのだが、こうやってヒネクレタ写真を撮るには食指が動かないのだ。まあ、確かに、80年代後半から90年代の風物や町並みは最も中途半端なうえ、時代背景的にも非常につまらないというのも動かしがたい事実なのだが。

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「コモアしおつ」を2時間くらい歩き、日没まで少し時間があったので四方津駅から2駅大月寄りの鳥沢駅周辺を歩いた。線路に沿った国道20号(甲州街道)をよく車で通過していて、前からその宿場町の雰囲気が気になっていたのだ。「天上の非現実的な町」と「下界の既存の町」の良い対比になると思うので、こちらも合わせて掲載しよう。

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それにしても「人」を主題にした街頭スナップが撮りにくく、あるいは発表しにくくなった昨今、こうした味のある町での写真も「伝わらなく」なってしまった。自分としては、分かりにくいことを分かりにくいまま伝えるというアプローチは、成熟した文化的土壌さえあれば正しいと思っているわけだが・・・

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【今回使用機材】

    

 

by hoq2 | 2014-10-09 01:26 | 写真(Street Snap) | Trackback | Comments(0)