【Dog Snapshot 11】ストリートスナップ犬

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ストリートスナップ犬
我が家には2匹のフレンチブルドッグがいるが、オスのゴースケの方に、ストリートスナップ犬をやってもらうことがある。街や公園を歩き回ってスナップ写真を撮る際の、水先案内人と言えばいいだろうか。とにかく行きたい方に歩いてくれればいいという簡単な仕事だ。

なぜこういうことを始めたかというと、僕はプライベートで東京を中心にストリートスナップを撮っているが、どこに向かって歩いたらいいか迷う事が多いからだ。どこで何を撮りたい、というのがはっきりしているわけではなく、むしろ偶然出会った風景や通行人、物体を撮ることを信条にしている。そういう一期一会の情景を撮りたいので、撮影地を選ぶとか、狙いを持って撮影に臨むとか、恣意的な要素はなるべく排除したい。その方が写真に臨場感とリアル感が出ると考えている。

だから、撮影のスタート地点をたとえば「浅草」と決めても、そこから先はあまり深く考えないで進む。寅さんふうに言えば「気の向くままに風まかせよ」となるのだろうが、僕の場合、どうしてもスケベ心が出て、面白い写真が撮れそうな方向へ、意識的に歩いてしまうことも多い。

そこで葛藤が生まれるわけだが、ある時から「風まかせ」ならぬ「犬まかせ」にしたらどうか、と考えるようになった。都合の良いことに、ゴースケは散歩の時「行き先」にこだわる犬である。隅田川沿いのベンチだとか、秋葉原駅東口の新幹線が見えるロータリーだとか、非常に具体的な場所を目指して歩く。よく知らない場所に行ってもおおまかな方向は決めて歩く。その際、撮影の支障にならない程度に適度に引っ張って先を歩いてくれる。だから、ゴースケ任せに進めば彼の中では行き先はっきりしているが、僕の意思は反映されない。つまり、撮影コースに関しては、恣意性がかなり排除されるわけだ。これは、行き先へのこだわりがないゴースケの妹分のマメの方には期待できない仕事である。

手始めに、久しぶりにハッセルブラッドを取り出し、肩掛けリードで両手を空けてゴースケと自分をつなぎ、以前一緒に住んでいた浅草周辺と自宅近くの水元公園へ行ってみた。ゴースケに導かれるままに進むと、いくつかのシャッターチャンスに出会うことができた。写真を撮られた人も、僕一人だと嫌な顔をされることもあるが、犬が一緒だと微笑んでくれる。まずは、思惑通りである。

首からライカを下げているカメラマン犬はアメリカにいるらしいが、僕らのような共同作業は珍しいかもしれない。家庭犬のしつけのセオリーから外れたことをしていると叱られそうだが、好きな写真で一緒に“仕事”ができることが素直に嬉しい。

『WAN』2007 4月号掲載

by hoq2 | 2011-02-17 17:48 | 写真(Dog Snapshot) | Trackback | Comments(0)

【田代島】猫の島に行ってきた(その4)

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Canon EOS1D MKIII / 70-200 2.8

間が空いてしましましたが、前回の続きです。

学校跡近くの猫集団に別れを告げ、海の方に下っていくと商店の前で黒猫が日向ぼっこしていました。
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Canon EOS1D MKIII / 70-200 2.8

商店前の階段に目が痒そうな子猫がいたので、僕もつかず離れずまったり座って休んでいました。
すると、「ドンガラガッシャーン!」。階段の上から猫と台車が滑り落ちて来るではないですか。店のおばちゃんは、「ほんに、イタズラばかりするんだべ」と目を細めています。台車滑落の引き金になったシーンは見ていなかったのですが、2匹の猫が階段上の台車の上で遊んでいたらバランスが崩れて落ちてきたということみたいですね。楽しい珍事件でした。
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Canon EOS1D MKIII / 70-200 2.8, Canon EOS5D MKII 24-70 / 2.8

さて、そうこうしていると横綱登場。今回見た中で一番大きくて強そうです。先にいた黒猫も思わず目をそらす。
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Canon EOS5D MKII 24-70 / 2.8

ところが!横綱が黒猫を従えて座っていると“ホワイトソックス”登場。あっさり猫パンチを食らってしまうのでした。横綱弱し!
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Canon EOS5D MKII 24-70 / 2.8

そして、何かビミョーな空気が流れるのであった・・・
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Canon EOS5D MKII 24-70 / 2.8

えー、僕もなんとなく居づらくなったので、ここを去ります。一応、島の全貌を見ておきたいのでもう一つの港、大泊から帰りの船に乗ることにしました。

大泊の集落はとても静か。猫もいません。
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Canon EOS5D MKII 24-70 / 2.8


今回、たくさんの猫に出会いましたが、まだまだ田代島のほんのさわりを見ただけです。これから機会を見て何度も通って、何か形にできたらと思っています。次は季節を変えて春か夏に行きたいですね。

by hoq2 | 2011-02-09 02:08 | 写真(Street Snap) | Trackback | Comments(0)

【ピンクレディー】プロの力

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Pink Lady INNOVATION

超々久々にCDを買った。itunes等でダウンロードはしても、店に行って新譜を定価で買うのはホントに何年ぶりか。もちろん、音質やモノを持つ価値を考えれば、CDが良い。が、それほどコアな音楽ファンではない自分にとって、今この時代にCDを買うというのはよっぽどの事だ。それだけ、僕はピンクレディーという「アーティスト」の名にふさわしい二人に敬意を表している。

僕がプログレやシュトックハウゼンなど前衛音楽好きなのを知っている人は多分、すごく意外に思うのではないか。単に「昔流行った古臭い歌謡曲」というイメージでピンクレディーを見ているのなら当然結びつかない。しかし、圧倒的な歌唱力と高度な振り付け、愛だの恋だのばかりではない歌詞、ビートの効いた日本離れした曲。僕の中では、もうイエスとかELPとか平沢進と同列に5本の指に入る。歌って踊るという意味であえて比較対象にするが、僕にとってはマイケルジャクソンじゃなくて、ピンクレディーなのだ。ジャクソン氏には、リアルタイムでブームを体験したが商品として売れたということ意外に感想はなく、ピンクレディーにある凄みや力、感動がない。あくまで個人的な見解だが、私生活が珍奇だったり死んだりしたことで過大評価するのは、マイケルジャクソンに限らないが、いいかげんにしたらどうか。

ピンクレディーの“現役”の活動期間は1976-81年だから、70年生まれの僕は小学生くらい。「その世代」に当たるが、ちょうどその時代にはカナダに住んでいて、実はピンクレディーブームをリアルタイムで知らない。帰国した時期はもう人気が急降下した頃で、女の子たちがピンクレディーの靴とか下敷きを持っていて「なんかダサいなあ」と思ったくらいだ。当時はむしろバカにしていたと言っていい。リアルタイムでは女の子と大人のアイドルだったしね。男の子の僕はガンダムでした。

目が覚めたのは、プログレとかジャズを聞いていた高校生の時。今は一線のミュージシャンになっている同級生に「ピンクレディーが実は凄い」と勧められたのだ。リアルタイムの邦楽がもう、おニャン子とか「素人がなんかやってるよ」つー世界だったのだけど、友人に借りたピンクレディーのベスト盤を聞いた時の衝撃と感動はすごかったなあ。

歌がうまいのは当たり前。そう、アイドル以前にプロの歌手だということは聞いてすぐにピンときたし、その友人の解説も手伝って阿久悠と都倉俊一の曲が単なる「子供だまし」ではないことは理屈抜きでガンガン伝わってくる。もちろん、レコード会社が儲けることが唯一最大の目標の「商品」なのは言うまでもない。にも関わらず、一流のプロがギリギリの線で作り上げた商品は、商業主義大嫌いの僕も脱帽せざるを得なかった。

「あの時代のエネルギー」と言うのは簡単だけど、『サウスポー』の「ハリケーン」の振りのごとくグルングルンガーっと脳を駆け巡る力は、アーティストと曲の持つ「力」そのものだ。「時代」は背中を押してスパイスとなったかも知れないが、ピンクレディーに限って言えばもっと普遍的な「力」がある。


ピンクレディー誕生の経緯とプロたちの戦いについては、この動画がよくまとまってるので、特にモノづくりに関わってる人は必見。

ピンクレディ 夢をつくった男たち 1/4
ピンクレディ 夢をつくった男たち 2/4
ピンクレディ 夢をつくった男たち 3/4
ピンクレディ 夢をつくった男たち 4/4

「商売人」が単に「仕掛けて売れた」商品ではないということを客観的に証明するキーワードはいくつかある。
1)プロデューサーの飯田久彦が、自身も歌手だったというプレイヤーサイドの目で2人の実力を見抜いたこと。芸能界は当時から完成したプロよりも、素人っぽい女の子を求めていたらしいけど、飯田はそれに嫌悪感を感じていて、会社の命令で嫌々行った「スター誕生!」の会場で「ホンモノ」の素材を見つけたということらしい。
2)ミーとケイは高校の同級生で、当時から歌手を目指してレッスンに通い、ヒマさえあれば歌を歌っていた。「会ってすぐに歌う、という感じでほとんどおしゃべりをしてないよね」(ケイ)。歌手になるには、歌の練習をする。この当たり前のことをすっ飛ばしてる今のアマチュアリズムの“歌手”とは、そもそもの立ち位置が違う。
3)レコード会社にとっては、いわゆる「ドラフト1位」ではなかった。それを幸いに、飯田は阿久悠・都倉俊一、振付師の土居甫という「プロ中のプロ」をブレーンにつけ、安全な「売れ筋」路線ではなく、「0点か100点」を目指した。4人はサラリーマン思考のレコード会社の思惑と、「商品を作る」という価値観の中のギリギリの線でとことん戦った。しかし、「とにかく歌を歌いたい」という二人の純粋な部分もちゃんと見ていた(『マンデー・モナリザ・クラブ』は、純粋に二人が歌いたい歌として、贈った)。
4)デビュー曲『ペッパー警部』は当初売れなかった。しかし、次の『SOS』を出した頃にターゲットとして想定してなかった子どもたちの間でブレイクした。AKBなどのように売る側の仕掛けにファンが乗っかってきたのではなく、ファンが作ったブームにピンクレディー側が「必死についていった時期があった」(都倉)。それを作るきっかけが想定外の層でしかも良い物に純粋に反応する子供だったというのは、さもありなんである。「仕掛け」は長い目で見れば結局通用しない。一時的に通用しても残らない。そんなもんはしょせん「バードカフェのおせち」である。
5)当時、ギョーカイの事情というヤツで大失敗と言われたアメリカ進出。しかし、これは2人が「若さゆえの過ち」で自分から降りてしまったというだけで、実際は『Kiss in the dark』がビルボードチャート37位(宇多田ヒカルなど問題外)、全米ネットでレギュラー番組を持つという大成功だった。確かに当時は珍しかった日本人ということでイロモノ扱いもあっただろうが、究極の「プロの国」アメリカで、30年前に評価されたという事実は重い。


アルバム『イノベーション』は昨年末の発売。今回は再結成ではなく、恒久的に活動再開するということだ。演奏は当時モノ、歌は新たに吹き込んだもの。今の方が歌唱力が断然上がってるし、昔は「やらされていた」面もあることを、今は自分たちの意思で進んでやっている。贔屓目なしで今のほうがいい。いわゆる再結成モノでは稀有ですごいことだ。

長くなったので、新譜の感想は次にするが、僕は何が言いたいかというと、80年代以降の日本は完全にアマチュアの集団になってしまった。自分の周りの世界も、もう全然プロがいないし、社会そのものが卑しくなってしまってプロの仕事を受け入れる度胸もない。その現代に、ピンクレディーのようなプロが再び現れてカツを入れてくれているのがすごく嬉しいのだ。感謝。CDを定価で買うなんて、まったく全然微々たる返礼なのです。

by hoq2 | 2011-02-02 02:45 | 日記 | Trackback | Comments(0)