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神に近い存在 犬たちに感謝を込めて

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これまで、雑誌やwebの連載で、数多くの犬の飼い主さんに、愛犬に寄せる思いをインタビューしてきました。現在も『THE PAGE』で、「愛犬10年物語」という連載を書かせてもらっています。

本来、取材者はあまり自分のことをひけらかさない方が良いと思います。でも、先日3回目の愛犬との別れを経験し、どうしても書き留めておきたい思いがあり、純粋な気持ちが日常に埋没しないうちに、ここに書くことにしました。

初めての犬を迎えて今年で15年目になります。そのゴースケ(フレンチ・ブルドッグ)は3年前の2014年10月に、近所を彷徨っていたのを保護した老犬の「爺さん」(雑種)はそれに先立つ2010年の1月に、そして、つい先日の2017年2月、実家のマリー(ゴールデン・レトリーバー)が旅立ってしまいました。マリーへの思いは、その翌日にフェイスブックに書かせてもらいました。



FBにも書いたように、マリーは心優しい純真無垢な犬でした。浅間山のふもとの静かな環境で、最初は老夫婦と、後には老母と二人、そよ風に吹かれながら静かに暮らしていました。戦前生まれの両親です。今風の理にかなった躾とは無縁で、色々な人にご迷惑をおかけしたのも事実です。僕はいつもいくつかのことを口を酸っぱくして母に直すよう、やめるよう、指摘してきました。でも、結局みんなが優しく微笑んで許してくれる、誰もが愛してくれる、そういう存在がマリーでした。物事は表裏一体であり、「甘い!」と言いたくなる育て方も、その明るい無垢な性格の背景にあることを、周りの心優しき人々は分かってくれていました。同じ親のもとで育った僕自身、それが母の愛情の寄せ方であり、ある種の正論を凌駕する真心であることは、生涯幸せに満ちた姿を見せてくれたマリーのおかげで今は良く分かっています。

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マリーの亡くなったタイミングの「優しさ」については、FBに書いた通りです。「ずっと一緒にいようね。そのために少しだけ頑張ろうね」というのが、人間の思いです。そういう智慧というか、オトナな部分を交えて生きていくのが人間です。でも、動物たちは「ああすればこうなる」と理詰めで考えて生きているわけではありません。もちろん、マリーも「ママやコースケたちが大変だから、先に行って待っているね」という自覚があったわけではありません。ただひたすら、愛を与えること、受け止めることに純粋で全力だったから、それが自ずと結果に表れたのだと受け止めています。もっと長生きしてもらいたかったという思いは変わりませんし、正直、飼い主としてのさまざまな後悔もあります。でもそういうことが素直に俗っぽいことだと思えるほど、マリーの愛は神に近い所にあります。必然ではなく、自ずと然る。その無為自然な「愛」が、人間界で神と呼ばれるものなのだと、私は思うからです。

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マリーの死に際しては、ほかにも美しい偶然がいくつもあったんですよ。マリーには家族以外にも大好きな人が何人もいたのですが、その一人のトリマーのお姉さんには、なかなか取れない直前の予約がなぜかすんなり取れて亡くなる直前に会えました。また、実は亡くなった原因とは全く別の脂肪腫の手術を直近に予定していたのですが、そのまま全身麻酔と手術を受けていたら、もしかして今回の心臓の出血がその時に起きるという結果が待っていて、僕らは自分や今も大いに信頼している先生を恨んでいた結果になっていたかもしれません。そんな悲しいことを優しいマリーが許すはずはないのです。

火葬の予約の際にも、こんなことがありました。夜中に遺体となって自宅に帰ってきて、母はいたたまれなかったのでしょう。できればすぐに翌日に火葬したいと言いました。僕はその願いを聞き入れて「個別葬で拾骨ができる」ことを条件に、その中で一番うちらしい質素な所を探して朝一番で電話しました。すると、「たった今、別の予約が入ってしまいまして、早くて明日の午前中になります」とのこと。本来ならいったん切って母の意向を聞いたうえで、他も当たるべきでしたが、僕はなぜか2つ返事で「では、明日の午前中にお願いします」と返答していました。母もすんなり、「ああ、良かったね」と言いました。俗っぽい言い方をすれば、もう1日だけうちにいたかったマリーの導きというふうに思います。火葬後、母も「何もかもきれいに済んだね。最後、1日うちで過ごすこともできたし」と言っていました。人間は、なかなか人の本音が分かりませんし、踏み込めません。自分のためというより、僕たちを思うマリーの思いが、これもまた「思いが通じた」というよりは、「自ずと然る」形で現われたのだと僕は強く信じています。

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火葬の帰り道、母と僕と妻、そして、まだ僕たちと現世で寄り添ってくれているマメと4人で街道沿いの宿場町を散歩しました。その宿場町の入り口に神社があるのですが、そこをお参りして街に出る鳥居をくぐろうとした瞬間、多分、僕の体についていたのでしょう、マリーのフワフワな毛が一塊、風に乗って青空に向かって舞い上がっていきました。まるで、4人で心穏やかにまた歩み始めたのを見届けて安心したかのように昇っていきました。これはさすがに僕の思い込みでしょうが、そういう偶然めいたこともありました。

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次の晩、夢というよりは、未明に目が覚めた僕の頭の中にふわっと浮かんだイメージだと言った方が正確かもしれません。春爛漫の木立に囲まれた庭園の白いゲートが開いて、そこをマリーが尻尾を振りながらくぐっていきます。いつの間にか、傍らにゴースケがいて、マリーは優しい目でゴースケを見ていました。ゴースケは一瞬僕の方を楽しげな表情のまま見て、そのまま庭園の奥に入っていきました。そこからちょっとイメージが飛んで、妙に体つきと動きが若返った父が、マリーやゴースケ、他の動物たち(そこに爺さんがいたかは分からないけれど)と楽しげに走っているのでした(笑)。まあ、これは、僕の願望が作り上げたイメージに過ぎないと思います。でも、夜中に自分の妄想で笑顔になれたのも、マリーやゴースケ、爺さんたちの純情ゆえの「自ずと然る」神の配剤的なものだったのだと思っています。

そして、自分で言うのは口幅ったいのですが、今、僕はやっと心が清らかな大人になれたのかな、と思います。純情な犬の心は、現世から去ると、僕たち飼い主の心に宿ります。爺さんからは悟った鷹揚さを、ゴースケからは無垢な感性を、マリーからは純粋な優しさをもらいました。今までは、まだそれらが僕の心の奥から出ることは少なかったかもしれません。今は、3つの魂を明確に感じることができています。そして、もうしばらく、この心のままに4人で現世を歩いていきたいと思っています。

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by hoq2 | 2017-02-17 13:18 | 日記

(フォトジャーナリスト・内村コースケ)写真と犬を愛するフォトジャーナリストによる写真と犬の話。写真は真実の写し鏡ではなく、写像である。だからこそ面白い。


by hoq2
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